【“恥ずかしい”って大事だね】

【“恥ずかしい”って大事だね】

 

 皆さん、こんにちは。

 園庭の木々が冬の訪れを感じさせてくれる今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。2学期は行事が目白押しで楽しくも忙しい毎日でしすが、そのような中でも子どもたちは日々成長しているなと感じさせられます。

 どの学年の子どもたちもそれぞれに成長を感じられるのですが、この1年で私が面白いなと感じた子どもの成長の1つに「恥ずかしさ」というものがあります。ひとえに恥ずかしさといっても、いろいろな種類の恥ずかしさがありますね。

 

 例えば、年長さんの女の子は1学期から「人前で着替えること」に恥ずかしさを感じ始めている子がいて、2学期になるとその人数も少しずつ増えました。こうした恥ずかしさを感じられるようになった子は、大人や異性に見られることよりも、あまり性別に関係なくお友だちに見られることに、強い恥ずかしさを感じているようです。一方、男の子はというと、女の子より「恥ずかしさ」を感じている子は少ないように感じます。どちらかというと、早く着替えて遊びたいという気持ちの方が強いのかもしれませんね。

 

 また、自分の描いている絵を見られることを恥ずかしく思う子もいます。その子に近づくと手で描いている絵を覆い隠したり、体で絵を見えないようにしながらコソコソと描いたりします。私の経験では、年中さんくらいからこうした子はいるでしょうか。年少さんにもいるかもしれませんが、年少さんは割とダイナミックに、自分の描きたいものを自信たっぷりに描ける子が多いかもしれませんね。

 

 そして、人前に立つことに恥ずかしさを感じる子もいます。普段は元気よく過ごしている子でも、同じクラスの子の前で発言をしたりすることになると、途端に話せなくなってしまう子もいます。また、「言いたい」「やりたい」と意気込んでみたものの、いざ自分の番になると動けなくなってしまう子もいます。こうした子は恥ずかしさもあるでしょうが、間違ってしまうかもしれない・できないかもしれない不安を感じているのかもしれません。また、観衆が多いとそれだけでもプレッシャーになりますし、いつもと異なる視界に戸惑うこともあると思いますので、単純に恥ずかしくて人前に立てないというわけではないのかもしれません。

 

 色々な恥ずかしさがあると思いますが、先日、「これは高度な羞恥心の成長だな」と思うことがありました。

 年長さんとファッションショーの動画を見ていた時のことです。子どもたちは自分のお友だちが出てくる度に、「〇〇くんだー!」とか「まじょだー」と大はしゃぎだったのですが、ある女の子が「恥ずかしい、恥ずかしい」と顔を手で覆い隠していました。「どうしたのかな?」と見ていると、その子が映像に登場しました。するとその子は「恥ずかしい、見ないでー」と少し嬉しそうな声で、でも本当に恥ずかしいと思っている様子で声を上げました。その時は「〇〇ちゃん素敵だよ、恥ずかしくないよ」と声をかけましたが、よくよく考えると、この子は高度な恥ずかしさを感じているなと思ったのです。

 というのも、着替えや人前に立つというのは直接的に他者にさらされるので恥ずかしさがダイレクトに伝わってきますよね。描いている「絵」に恥ずかしさを感じるというのも、その場で自分が作っているものに対する他者の評価が、結果的に自分の評価になるので、悪い評価になるかもしれないとわかっている子は隠したくなるのもわかります。

 でも、この女の子が感じた恥ずかしさは、自分の映像を他者に見られて恥ずかしく感じるというものです。映像の過去の自分と今の自分が同調していて、実際に自分が直接的に見られているわけではないのに、自分が見られているかのように感じているのです。なんか難しい話になってきましたね。

 とにかく、そんな女の子の姿を見て、私は「恥ずかしさ」というのも成長過程があるのだと感じたわけです。

 

 では、どうして「恥ずかしい」と感じることが大切なのでしょうか。そもそも人はなぜ「恥ずかしい」と思うようになるのでしょうか?

 それは他者からの視点で自分を見られるようになったからではないでしょうか。言い換えると相手の立場に立ってものを見られるとか、想像できるようになるということでもあると思います。要するに相手からどう見られるかがわかるようになるということです。

 「着替え」という行為は、他者から見て自分がどのような姿をしているか想像できるから恥ずかしく感じるわけですし、絵を隠したり人前に立つと恥ずかしくなってしまうのは、その絵や人前に立っている自分を自ずとイメージできるからだと思うのです。

 しかし、この視点は人の成長にとって、とても大事な視点なことは言うまでもありません。相手がどう感じているか、他人から自分がどういう風に見えているかを気にしない人は、社会生活においては生きづらいですからね。この視点は、他の成長にも繋がるとても大事な成長だと言えます。

 

 加えて言うのであれば、人が何を恥ずかしいと思うかは、我々大人の価値観が影響していると考えられます。恥ずかしいと思うことを子育てや教育の中で文化として教え込んでいますので、子どもたちはその行為や状況を恥ずかしいと認識して回避するようになるのです。「着替え」も現代社会では一般的には「恥ずかしい」行為ではありますが、民俗学などの世界では今もなお洋服を着用しない部族がありますし、かつては日本でも現代ほど恥ずかしい行為ではなかったので、その時代や地域の価値観の影響が強いのではないかと思います。

 

 ということで、「恥ずかしさ」についてつらつらと述べてきたわけですが、愛隣幼稚園では、この2学期において恥ずかしさを乗り越えて自信をつけようと、どの学年も取り組んでいます。大きいところで言うと、運動会・プチ運動会からのファッションショーやどうぶつぱーてぃー、そしてクリスマス祝会という流れになりますが、出番や役割を増やしたり、自分たちで考えた活動をいれたりと少しずつ自信がもてるように工夫されています。

 

 今度の大きなイベントはクリスマス祝会です。当日は恥ずかしくなってしまう子もいることでしょう。しかし、それも子どもたちがちゃんと成長している証です。そのような、あたたかな眼差しで見ていただけると、子どもたちも伸び伸びと演じやすくなると思います。

 さぁ、クリスマス祝会がどのようなものになるのか楽しみです。

 

 

愛隣幼稚園  

浅井 広