【保育者の寛容性】

 【保育者の寛容性】

 皆さん、こんにちは。

 段々と暑さがましてきましたがいかがお過ごしでしょうか。本学では、ようやく対面での授業が再開しましたが、マスク着用、手洗い、消毒などの感染予防が欠かせず、授業中もマスクをしながら講義をしているので、なかなか大変です。フェイスシールドも支給されたのですが、なんだか話しにくくて、、、ただそれでも、学生さんの顔も見れますし、遠隔授業ではできないこともできるようになったので、良い兆しなのかなと前向きに捉えております。

 

 また、愛媛県では独自の方針が出されており、6月19日から感染対策をしたうえで外食等も今までのように行えるようになりました。そして、満を持して卒業生が大学にやってきました。卒業式もなくなり、中途半端に卒業になってしまったので、色々と思うところがあったのでしょうね。

 そのような中、ある卒業生から「なぜ、保育科の先生たちはあんなに優しいのか」と尋ねられました。短大を卒業して、子どもたちを目の当たりにする駆け出しの保育者にとって、子どもたちの動きは予想できないことばかりで戸惑い焦ってばかり。優しくしたいのに、怒りたくないのに、大学の先生たちのように優しくできないとのことなのです。

 

 自分の職場を褒めるのもなんだか気持ち悪いですが、確かに本学保育科の先生方は優しいと思います。甘やかすという意味でなく、相手を尊重してくださいます。色々な要因があると思いますが、私はその卒業生に「余裕があるからじゃない?」と答えました。

 卒業生曰く「確かに~、余裕があったら優しくできる~」だそうです。

 余裕があるというのは、仕事が楽とか、時間に余裕があるということではなく、心にゆとりがあるということです。仕事は忙しいですし、到底時間に余裕などありませんが、大学生が何を考えているか、おおよその予測は立ちます。不安に思うことや友達とのトラブル等の相談事、学校を欠席したり、課題提出が遅れたりといったことの理由は、これまでの経験値から予測できるので、その範疇で行われることは本人の気持ちを受け止めつつも別の意見・見方を提示すればよいのです。そして、それを基に本人が考えればよいのです。そのため、別に怒る必要などないのです。

 

 保育でも同じことが言えると思います。例えば以下のようなことがあったとしますね。

 

 朝、登園してきた子どもから順に保育室でそれぞれに遊び始める。A君がマットの敷いてある場所でお店屋さんを始めると、そこにB君がやって来て一緒に遊び始めました。二人で話し、A君はお店屋さん役、B君お客さんになりました。二人が遊んでいる側で、C君が折り紙で紙飛行機を作り、飛ばして遊び始めました。B君は「ちょっと行ってくるー」と言ってお店屋さんを抜け、紙飛行機を作り始めました。それはお店屋さんを始めてすぐのことでした。その後、A君は他の子どもとお店屋さんで遊びました。

 少しして保育者が「朝の集まりをするから、お片づけを始めようか」と子どもたちに伝えました。すかさずC君は先生に「また後でやりたいから、紙飛行機置いておいていい?」と尋ね、保育者も「いいよ」と答えました。B君は紙飛行機を鞄にしまい、一番に自分の椅子に座りました。するとA君が「B君も片付けてよ」と言いました。B君は「お店屋さんやってないもん、紙飛行機片づけたもん」と返答します。A君は「遊んだだろ!遊んだら片付けるんだよ!」と強い口調で答えます。B君は背を向けて「遊んでないもん」と言いました。そこにDちゃんがやってきて、「使ってなくても、皆で片付けるんだよね」と2人に言った後、お店屋さんを片づけ始めました。

 

 こうした「片付ける、片付けない」のトラブルはよくあります。一見、B君はわがままのようにも見えてしまいますが、どうなのでしょう?

 

 この時のそれぞれの「片付け」に対する認識を考えてみると、A君は「遊んだものは自分で片づける」と考えているようです。B君も紙飛行機を片付けていることから「遊んだら片付ける」ということを自分なりにしています。C君は「片付ける」=「元の形に戻す」だけでなく、「残す」という片付けの在り方を提示します。Dちゃんは遊ぶ、遊ばないにもかかわらず、「みんなで片付ける」という大変立派な考えをお持ちです。

 

 このように考えると、全員「片付け」という活動を行っているわけで、誰かが咎められる必要はありません。B君に至っては、真っ先に片付けを終えて、椅子に座っています。きっと、先生に褒められると思っていたことでしょうね。でも実際は、A君に𠮟責されてしまうわけです。褒められるはずだったのに、責められてしまう。それは反抗もしたくなりますよね。

 

 ということで、この子どもたちのトラブルの原因は、本当は「片付ける、片付けない」ではなく、「遊んだか、遊んでいないか」なのです。ですので、保育者はこれまでの経験を基にトラブルの原因を予測し、「遊んだら片付けるんだよね?」とB君に声をかけるのではなく、B君がお店屋さんをしたと思っているかどうかを確認することでしょう。そして、B君が「した」と思うのであれば、紙飛行機を一番に片付けたことを認め、A君と一緒に片付けるとなおカッコイイと別の見方を伝えるでしょうし、もし「していない」と思っているのであれば、紙飛行機を片付けたことを認めたうえで、A君の思いやDちゃんの意見を伝えるでしょう。

 

 しかし、まだまだ新米保育者は、予測がたちにくい分、A君の言い分を聞きB君に「遊んだら片付けるんだよね?」と言ってしまうかもしれませんね。そしたら、褒めてもらえるかもと思っていたB君からしたらショックですよね。怒られたと思ってしまうかもしれません。もしくは、次の活動に移れないので「どうして片付けないの?」とB君を責めるような質問をしてしまうかもしれません。

 

 でも、これもまた経験です。そうやって繰り返すことで、段々と想像できる範囲を広げ、対応できるようになれば余裕が生まれます。そうしたら、子どものすることで怒らなければならないことって、あまりないことに気づくでしょう。何故なら子どもたちは皆、成長途中だからです。こうしたトラブルやいざこざも失敗ではなく、成長するためのプロセスなのです。1回成功するために99回失敗しても良いではないですか。その1回の成功のための99回の失敗だったのです。そう思えれば、失敗も意味のある行いですよね。乳幼児期ってそういう時期だと思いまし、何でもすぐに成功してほしいと望むのは大人の悪い癖ですね。

 

 保育職を目指す人は子どもが好きなだけでなく、もともと優しい性格の方が多いのは言うまでもありませんが、そこに専門性が加わることで、保育者としての寛容性が築かれるのだと思います。

 オリンピックを1度経験したことがあるかないかの子どもたちに、大人の理想を押し付けてもそれはかないません。むしろ、何故できないのかとイライラするだけです。子どもは子どもなりの成長をちゃんとしています。それが分かっていれば、余裕をもって子どもとかかわれるはずです。そんな保育者を育てたいと思って日々奮闘しています。

 

 

松山東雲短期大学 保育科

講師      浅井 広