【小学校教育との接続】

 【小学校教育との接続】

 皆さん、こんにちは。
 冬らしい寒さも瞬く間に終わり、春の暖かさを感じられるようになってまいりました。今年の冬は本当にあっという間、という印象でしたね。これから一層春らしくなっていくと思うと、少しワクワクしてきます。

 前回までで「10の姿」については、簡単ですが説明が終わりました。皆様、ご理解いただけましたでしょうか。平成30年に示された考え方ですので、私もまだ十分理解しきれていないですが、子どもたち一人ひとりの育ちは、小さい頃からずっと繋がっている、だからこそその繋がりを保育者が理解して保育をしなければならないということだと思います。

 そういった意味で捉えますと、幼稚園・保育園等を卒園した後のこと、そして小学校との接続についてもよく考えていかなければなりません。子どもの育ちは、幼稚園や保育園で終わるわけではありませんので、当然、幼稚園や保育園で培った力が小学校以上の育ちにどう繋がっていくかを考えなければならないのです。今回は、そのことについてお話ししていきたいと思います。

 幼稚園や保育園では、「子どもの主体的な活動としての遊び」や「環境を通した保育」を中心に、子どもたちが遊ぶことを通して自ら学んでいく教育方法を採用していますが、小学校以上になると教科教育と呼ばれる、いわゆる国語、算数、理科、社会の授業が始まっていきます。教育方法が180度といっても良いくらい転換されるわけです。それが全ての問題ではありませんが、そうした環境の変化も1つの要因となって「座っていられない」「話を聞けない」「授業を妨害する」等の小一プロブレムと呼ばれる問題も起こりました。

 ですが、そもそもいきなり「40分じっと座っていなさい」ということの方が酷だと思いませんか?もちろん、小学校の先生方は一生懸命に楽しい授業を考え、準備してくださっていますし、子どもたちがそこに楽しさを感じられれば、熱心に授業を聞くことでしょう。しかし、極端に言ってしまえば、少し前まで好きなことを目一杯していたのに、今日からはお話しをやめて先生の話を聞きましょう、と言われても難しいと思うのです。

 加えて、幼稚園や保育園では、年長さんは誇らしい最高学年でした。おにいちゃん、おねえちゃんと年少児から慕われ、憧れの存在だったわけです。それなのに小学校に入ると、まるで赤ちゃんがやってきました、というような扱いをされてしまいます。幼稚園や保育園では自分たちでしていたことも、小学校にあがると誰かが手伝ってくれる、自分でしなくても良くなるとなれば、子どもたちがせっかく育ってきたのに後退してしまうかもしれないのです。

 それではいけないということで、小学校でも「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」を共有することになりました。それだけではなく、研修会や保育参観などで保育者と小学校教員が情報共有や意見交換をすることが推奨されるようになりました。ただ、現実的には校務があるので難しいところも多いのですが、保育現場も小学校ももっと寄り添うことが求められるようになったのです。

 保育現場はというと、もっと遊びを大切にして、その遊びからたくさんの気づきや不思議等を子どもたちが感じられるように教育することが求められています。その「気づき」や「不思議」が、小学校以上の教科教育で生かされるからですね。
 
 例えば、皆さんは光る泥団子をご存知ですか?前にも書いたかもしれませんね。特別なものは何もいらず、水と砂だけでピカピカに光る泥団子を作ることができます。子どもたちも何度もチャレンジすれば作ることのできる光る泥団子ですが、何故、土を磨くと光るのでしょうか。これは光の反射によるもの、つまり泥団子の表面に目には見えない砂の粒子をすり込むことで鏡のような表面を作り、光を反射させるのです。光る泥団子を顕微鏡で見ると何故光るのかがよくわかります。
 小学校で言えば生活科や理科の科目で学ぶことになりますが、幼児期にも体験的に学ぶことができる内容です。

 気になった方は検索してみてください。キットも売っていますが、別にいりません。砂と水と根気があればできます。さら粉の作り方は子どもたちがよく知っていますしね。あとは汚れていいジャージとか破れたストッキングがあれば完璧です。

 脱線しましたが、この泥団子を半分に割ると二層になっていることも分かります。中心部は大きな砂利や小石で固められ、外層は細かな砂で作られます。これを見てみると、地層に見えてならないのですが、原理は同じ事だと思います。

 もちろん、泥団子を作って学べることは知的なこと以外にもたくさんありますが、「何でこうなるの?」という思いや、「もしかしたら、こうだからじゃないか」と遊びの中で考え、それを小学校以上で知識として学ぶと、体験と知識が結び付いて「理解する」ということに繋がってきます。

 こうやって色々と繋がってくると勉強も面白いと思えるのですが、そもそも「不思議」とか、「何で?」とか、「これってあれに似てるな」とか思わなければ、ただの知識の教授ですので、つまらなくなるのも当然なのです。そのような意味でも幼児教育は大切なのです。

 また別の視点で見てみると、「楽しく表現したり鑑賞したりする活動に取り組み,つくりだす喜びを味わうとともに,形や色などに関わり楽しい生活を創造しようとする態度を養う。」という考え方があります。これは、小学校1,2年生の図画工作の目標の1つです。面白いことに、「鑑賞」という言葉が入っています。見ることも教育活動の1つということなのですね。表現と鑑賞を通じて自分の生活を創造し、変えていく態度を育てるということが小学校1,2年生の目標に掲げられています。

 幼稚園や保育園では作ることはよく行いますが、「鑑賞する」ということはあまり行われないかもしれません。もちろん、「他の子の作品も見てみようね」という援助を保育者はしますし、作品を飾るということもしますが、「鑑賞」とまではいかないことが多いように思えます。

 そこで、対話型鑑賞というものを行い始めた園もあるようです。対話型鑑賞というのは、先入観を与えずに何が描かれているのか、どう感じたか、何故そのように感じたのか等を子どもたちに発話させる鑑賞方法です。それをすると、子どもたちから色々な意見が出てきて、その作品から色々な発想や表現力などを得られるようです。繰り返すことで、子どもたちの発想や着眼点等が広がる効果もあるということですが、面白い発想ですよね。たいてい鑑賞をするときは静かにするのが一般的ですが、その真逆をするのですから。表現をどのように受け取るかは個々人の自由なので、何を言っても間違いではないですし、どのように感じても良いわけです。そうして色々な意見や感想を聞き、インスピレーションを受けたものを自分の中に取り込んでいく、そして自分の生活を変えていく、とても面白い取り組みだと思います。
 
 こうした見方を小さい頃からしていたら、小学校以上で学ぶの図画工作の技術を使って、色々な表現が出来そうですよね。また、上手いとか下手という概念での評価ではないので、子どもたちの豊かな発想をもとに作品が出来そうです。

 長くなってしまいましたが、このように保育現場と小学校の間で、できるだけ円滑な接続ができるよう両者ともが努力しています。もちろん難しいこともありますし、克服しきれない部分もあるように思います。加えて、これまで上手くいっていた部分もありますので、全てを変えるわけでもないでしょう。ただ、ヒトの総合的な発達を基に教育現場も試行錯誤しながら変わり続けてきました。ニュースでも話題となっていましたが、今は大学入試でさえも知的能力に加え、人間性を合否判定の材料に加えることとなっています。乳幼児期から成人に至るまで、全ての教育期間を通して総合的にヒトを育てようとする試みが教育現場では行われているのです。

松山東雲短期大学 保育科
講師      浅井 広