【自然との関わり・生命尊重】

 【自然との関わり・生命尊重】
 皆さんこんにちは。だんだんと寒くなってまいりました。気づけば今年も残り2か月、早いものですね。
 さて、今回は幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿の中から【自然との関わり・生命尊重】についてご説明させていただきたいと思います。
 
 これまでのブログで、毎回のように異常気象に触れてまいりましたが、10月も大きな自然災害が起こってしまいました。昨今は毎年のように大きな自然災害が発生しており、異常というよりも、通常化しつつあるようにも思います。今回は、そのような環境変化の中で幼稚園はどのように子どもと自然との関わりを考えているのか、自然との関わりから子どもたちにどのような心情が育まれるかを幼稚園教育要領に則ってお話ししていきたいと思います。
 少し長くなりますので生命尊重については、また別の機会にお話させていただきたいと思います。
 

 自然というものは、時に猛威を振るい私たちの生活を脅かすこともありますが、基本的には、我々が生きていく上で欠かすことのできない存在であります。というよりも、私たちが自然に生かされていると言った方が適切かもしれません。衣食住のすべては、自然を基に成りたっていますからね。それに自然は、四季折々の美しさを私たちに見せてくれ、ヒトの心をも豊かにしてくれています。

 このような自然と子どもの関わりを、幼稚園教育要領では以下のように示しています。
「自然に触れて感動する体験を通して、自然の変化などを感じとり、好奇心や探求心をもって考え言葉などで表現しながら、身近な事象への関心が高まるとともに、自然への愛情や畏敬の念をもつようになる。また、身近な動植物に心を動かされる中で、生命の不思議さや尊さに気づき、身近な動植物への接し方を考え、命あるものとしていたわり、大切にする気持ちをもって関わるようになる」

 
 ここで、私が注目したいのは「好奇心や探求心」という言葉です。幼児期は、知識を教え込まれるのではなく、知識を得ようとか自ら学ぼうとするための土台を形成していく時期であることは今までも説明してまいりました。今回の「自然との関わり・生命尊重」でも同じことが言えます。つまり、「何故、草木が育つのか」とか「何故、台風が発生するのか」という知識、原理は小学校以上の教育で学ぶべきことであり、幼稚園では「なんで草や木が育つんだろう」、「どうしてこんなに風が強く吹くんだろう」と「好奇心や探求心」をもって自分なりの答えを考え、表現することを育てていきましょうということになります。
 
 小学生になれば「光合成」とか「熱帯低気圧」とか言った言葉や原理は知識として学びます。ですが、興味関心がなければ、ただの知識で終わってしまいます。そのため、興味関心をもてないと、知識を教え込まれるだけで勉強が嫌になるのです。覚えても何の役に立つか分からないからですね。しかし、興味や関心を持っていれば、勉強はとても楽しくなります。知らないことを知れるのですから。
 
 勉強が好きになるのために保育があるわけではないですが、自然に関心をもち、自然とかかわることは大切なことです。でも、どうしたら自然に関心をもち、「好奇心や探求心」をもてるようになるのかという疑問もわきます。
 
 そのヒントとして、幼稚園教育要領では「感動」という言葉を使っています。心を動かされる機会は人によってそれぞれですが、大自然を見たり、動植物や昆虫に触れたり、時には自然の驚異を感じることによって、自然への関心が引き出されると考えられています。そのため、幼稚園では遠足に出かけて、四季折々自然を使った遊びを行ったり、制作活動を通して自然と触れ合う機会をなるべく設けたりしているわけです。
 
 しかしながら、私は今の保育現場に疑問も持っています。それは、多くの幼稚園や保育園の園庭に咲いている花や木は、大人によって管理されているということです。または、野菜や植物の栽培をする際、植えるのと収穫するのは子どもであっても、その間の地道な作業は大人が行うということが多いのです。もちろん、どの子どもも平等に花が咲くように、そうした経験ができるようにという気持ちもわかりますし、時間がないということもあるかもしれません。また、園によっては「保護者の方もいるので、、、」という背景も理解できます。
 
 でも、どの園の花も木も野菜も綺麗すぎるように感じるのです。子どもの「好奇心や探求心」を育むために園庭を使うのであれば、咲かない花や実のならない野菜が育っても良いのではないでしょうか。きっと子どもたちはその花や野菜を見て「何で咲かないんだろう」、「僕の作った野菜は元気がなかったのかな」と考えると思うのです。そうしたら「お水が少なかったかな」、「種が小さかったかもしれない」、「もしかしたら、朝は咲いてたかもしれないよ」と自分なりに考えるのではないでしょうか。低年齢の子どもであれば「僕が小さいからかな」と自分と植物を対比させるかもしれません。子どもたちにそうした考えが浮かんだら、もう一度作ってみたら良いと思うのです。できるまでしてみたら良いと思います。これって、もはや子ども版の農業や自由研究と言えますよね。このような経験をしていたら、もしかしたら自然が大好きになるかもしれませんね。
 
 また、育てている中で挫折も味わうでしょう。台風だけでなく、夏の炎天下や冬の冷気によっても植物は弱ることでしょう。そうしたらまた何がいけなかったのかを考えられます。そして、手間をかければ手間をかけただけ、そのものに愛情がわいてくるものです。その感情が子どもたちをまた育んでくれるのです。動植物や物を大切にする、食べ物を残さず食べるといった大人たちが子どもたちに伝えたい内容は、子どもたち自身が実際に経験して学んでいくことではないでしょうか。
 
 もちろん、これらは園だけで行われる教育ではありません。家庭においても、地域においても行われるべき教育です。そして、家庭、地域、園が連携して同様の教育をすることができたとしたら、子どもたちは今以上に自然とかかわり、たくさんのことを学び、心情を育み、深い思考力を育てて成長していけることでしょう。
 
 稲を見てもお米であることが分からない子どもが増えたと言われて久しくなります。スーパーで売っている姿がお米や野菜の姿であり、どのようにできているのか、その過程を知らなくても支障がなくなってきているのです。また、自然とかかわる機会が減少し、自然の大切さや怖さを感じにくくなってきたとも言われます。
 
 子どもたちが自然とかかわり、自然からたくさんのことを学び、心情を育み、自然に対する自分の考え方を育めるよう、私たち大人がその環境を作ってあげる必要性があるのではないでしょうか。
 
 
松山東雲短期大学 保育科
講師      浅井 広