【協同性】

 【協同性】

 皆さんこんにちは。

 暦では、「夏!」という時期になってきましたが、梅雨明けもせず、夏という気持ちにはまだまだなれない今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 20日以上梅雨明けが遅いなんて、なんともまぁ、異常気象としか言いようがないのでしょうが、その原因の多くは私たち人間なので何とも言えないものですね。

 

 さて、今回は「10の姿」の中でも「協同性」についてご説明していきたいと思います。「きょうどう」という言葉には「協働」、「共同」、「協同」といくつかあります。「協働」は一緒に働くという意味で主に使われるでしょう。まぎらわしいのは「共同」と「協同」ですね。「共同」の意味に、「共に力を合わせて物事にあたること」という意味があるようですが、「共同トイレ」や「共同墓地」など、同じ条件や資格といった関係性を示す意味があるようです。一方、「協同」は「共に力や精神を合わせて物事にあたること」という意味があるようで、気持ちを合わせて事にあたるという精神面を強調した言葉のようです。「産学協同」や「協同組合」等、ある目的に向かって同じ気持ちをもって取り組むようなときに使うようです。

 

 そして、「10の姿」にあるのは「協同」という精神面を強調した言葉です。ということは、5歳児の後半になってくると、子どもたちの育ちとして、お友達や保育者、保護者と共に、同じ目的に向かって、同じ気持ちで物事に取り組むような姿が見られるようになるということです。

 

 それでは、子どもたちの「協同」はどのように育っていくと考えられているのでしょうか。

 『幼稚園教育要領解説』を見てみますと、「協同性」は、特に【人間関係】の育ちと関係して育つことが示されています。特にです。人間関係だけではないのでご注意ください。

 

 以前も触れたと思いますが、幼稚園での人間関係の第一歩は、保育者との信頼関係を基盤にしています。入園当初は、一人ひとり別々の遊びをしたり、保育者との触れ合いや遊びを通して幼稚園生活に親しみ、安定してく時期です。

 そして、他の子どもとのかかわりの中で、子どもたち同士の活動が生まれたり、トラブルが生じたりしながらお互いが必要な存在、「この子と一緒にいたい」等の認識を抱いていきます。

 簡単に書いていますが、ここまで育つまでにとても時間がかかります。約束を破られて、お友達を嫌いになることもあるでしょうし、トラブルになって手が出てしまうこともあるかもしれません、お友達を傷つけることを言ってしまうこともあるでしょう。その逆もしかりです。しかし、そうしたある意味お互い様のかかわりを過ごしながらも、「お友達と一緒に遊びたい」、「お友達に会いたい」等の気持ちを基に仲直りし、また、自分の言動を省みて社会性を学び、お友達と友好な関係を築いていくのです。そして、お友達には自分とは違う思いや気持ちがあることに気付き、そのうえで一緒に遊ぶという活動をより充実したものにしたいので、相手の気持ちや考えを知ろうとします。

 

 保育で言う「協同性」には、この相手の気持ちを知ろうとするとか、想像することが大切になってきます。なぜなら、保育は教育の一環なので、単に「共に活動できる」ことを協同とは捉えていないからです。相手の思いを汲み取りながら、お友達とより充実した活動を主体的に行っていくことを目的としていますので、同じ目的に向かって皆で取り組めればそれで良いというわけではないのです。もし、嫌な思いをしている子がいるとしたら、その子の思いを汲んで、皆が楽しく取り組めるように考え直し、気持ちを合わせて活動していきます。その活動というのが主に遊びであって、子どもたちは、毎日、遊びを通して「協同性」を学んでいるわけです。

 

 このようにして育ってきた子どもたちは、やがて学級や学年全体で目的をもって活動に取り組むことが目標となっていきます。クラスの中では、「お当番」のような活動もありますし、大きいもので言えば「運動会」や「発表会」のような催しも皆で取り組めるようになってきます。「運動会」では、子どもたち自身が楽しみながらも、年長さんは「さすが、年長さん」という迫力ある姿を見せてくれます。それは、個々の心身の発達もありますが、「クラスのために」とか「皆と一緒に」という気持ちも育つので、大人からすると「大きくなったなぁ」という気持ちが抱ける姿になるのでしょう。もちろん、年長さんになった自信や誇り、保護者の皆さんや年下のお友達に「見せたい」という気持ちもありますけどね。運動会等の行事には、色々な思いや育ちが垣間見れますが、その一つとして「協同性」も含まれると解釈すればよいのではないかと思います。

 

 そして『幼稚園教育要領解説』における「協同性」の説明の最後に、以下のようなことが書かれています。

 

 「幼児期に育まれた協同性は、小学校における学級での集団生活の中で、目的に向かって自分の力を発揮しながら友達と協力し、様々な意見を交わす中で新しい考えを生み出しながら工夫して取り組んだりするなど、教師や友達と協力して生活したり学び合ったりするする姿につながっていく。」

 

 上記からすると、「協同性」が育つということは、自分自身を抑え込んで、もしくは我慢してお友達と仲良くするとか、協力するということではなく、子どもたち個々が自分の力を発揮し合うことにより充実した生活や学びをもたらすことになるということだと思います。自分の思いを押し通すだけでも、何でもかんでも我慢するでもなく、皆がそれぞれにお友達を思い、互いに尊重しながら協力し、一つのことを成し遂げられるようにしていくこと、それを目指して、保育では協同性を育んでいます、ということですね。

 

 上述してきたような形で、子どもたちは「協同性」を育んでいくのですが、そこには紆余曲折がありますし、簡単なことではないことは容易に早々できます。ですが、そうした子どもが一人でも多く育ってくれたら、将来、この社会、この世界はもっともっと良い世界になるでしょうね。そのようなことを願って、保育は行われているのだと思います。

 

 

松山東雲短期大学 保育科

講師      浅井 広