【自分のことを受け入れられる子どもに】

【自身のことを受け入れられる子どもに】

 

 皆さん、こんにちは。

 ようやく春めいてきましたが、いかがお過ごしでしょうか。この時期は卒園、卒業、入園、入学があり、人との別れと出会い、そして新生活もあいまって、なかなか気持ち的にも落ち着かない時期ですね。それでも新しいことの始まりを感じながら、嬉しさと期待とが入り混じり、ワクワクした気持ちにもなれる時期です。

 

 卒業、卒園した、学生さん、子どもたちですが、実は教員からするとまだまだ心配なことばかりなのです。もちろん教員は、在学・在園中は一生懸命に子どもたちと向き合っていますし、卒業、卒園して他の社会に進むことが恥ずかしいと思っている学生、子どもはいないでしょう。そして、卒業・卒園後は、新しい地で一層成長していかれることを期待しています。ですが、「就職先で大丈夫かな?」「小学校も楽しく通えるかな?」ないった不安は、教員ならば誰もが持つことだと思います。そこで、どうして心配なのかなと考えてみたところ、私は、学生や子どもたちが自分のことを客観的に評価することができるかどうかに不安があるから心配になるのではないかと思ったのです。

 

 例えば、子どもたちで言うと、小学校にいけばテストや通知表といった分かりやすく数値化、可視化されたものが評価となります。そして、それらは他者と容易に比較できるものですので、その時点の自分と他の子どもを比較して自身の評価の順位付けが可能となります。あの子よりもできる、できないといった感じですね。また、足し算ができるとか、ひらがなが書けるという、「できる―できない」の評価もわかりやすいです。ほとんどの大人は足し算ができますし、ひらがなも書けます。できなくとも、電卓や電子機器で代用が効くので、大人からすれば入学して足し算ができなかったり、ひらがなが書けない時期があってもあまり気にならないかもしれません。しかし、子どもからすれば気が気ではないかもしれないのです。テストで100点をとれる子がいるのに自分は60点だったとなれば、テストができなかった子は劣等感を感じることでしょう。そのこと自体は悪いことではないかもしれません。なぜなら、大人がしっかりと心のフォローをしてあげれば、劣等感はモチベーションに代わる可能性もあるからです。

 しかし、いつもテストの点数が悪い子はどうでしょう?逆に、いつも点数の良い子は、点数の悪い子をどのように思うのでしょう。もしかしたら、点数の悪い子は自分には能力がないと悲観的になるかもしれませんし、もしかしたら、点数の良い子は点数の悪い子を見下すかもしれません。実際にそうした劣等感を抱いた子どもたちが勉強を諦め、学校に行くことを嫌がり、学校に行くことを辞めてしまうということもあるようです。

 大学生で言いますと、4月1日から保育者、先生として子どもたちの前に立たないといけなくなります。子どもたちからすると、新卒であろうがベテランであろうが先生に変わりありませんから、学生たちも一生懸命に努めます。ですが、当然、他の先生のようには上手くいかないわけです。それでも一生懸命に頑張るんですが、他の先生たちの評価や保護者の方の評価、自分自身の出来なさを感じ、バーンアウト(燃え尽き症候群)を起こしてしまうことがあります。

 

 こうした状況は、実は思っている以上によく起こっています。もちろん、学校に通えなくなったり、仕事が辛くなってしまうのはそれだけが要因ではないのですが、私が思うに自分の評価を自分自身でできないことも一つの要因としてあると思うのです。どういうことかもう少し詳しくご説明しますと、60点というのはある科目に対するその時点での得点ですよね。その1つ前のテストが50点だとしたら10点あがっていることになります。逆に70点だとしたら、以前のテスト範囲よりも10点分、その範囲が苦手だったということです。つまりですね、テストというものを自身の成長グラフの一部として捉えられれば、自分が以前よりも10点分成長できた、10点分苦手なところがあったという評価を自分自身に与えてあげられるのです。

 生活面でも同じです。例えば、おもちゃの片づけが苦手な子どもがいたとしましょう。たいていの大人は、片づけができないことに注意をしたり、ネガティブな言葉をかけます。つまり、その子の片づけは50点だよ、と評価を与えます。でも、その子の成長グラフを考えてあげると、以前は全然片付けができなかったのに、今は隅っこに寄せることはできるようになっているかもしれません。もしくは、少しだけ待ってあげたら遊びを終えておもちゃを片付けられるのかもしれません。あるいは、おもちゃは難しくても食器は片付けているかもしれませんね。

 

 大人はどうしても、できない部分に目を向けてしまい、当たり前にできてることをあまり褒めません。赤ちゃんの時は、「あ~」って言うだけでも褒めるのに、大きくなるにつれ段々と褒めなくなっていくように思えます。でも、求められていることの半分以上のことはきっとできているものです。100点満点の内、60点取れれば半分以上のことはできているわけです。ですが取れない40点にばかり目を向けて評価されてしまいます。テストでなくても、足し算だってひらがなだって、できるようになるには過程がありますから、全部のひらがなは書けないけど、自分の名前や家族の名前をひらがなで書けるようになったら、それを認めてあげるべきだと思うのです。できないところばかりに目を向けて、「頑張れ、頑張れ」では子どもたちも悲しくなってしまいますよね。

 

 まずは、できている部分や「成長している部分」を褒めてあげて、苦手としている部分も大人が認めてあげ、子ども自身が今の段階で「僕はここは苦手だけど、ここはできるんだ」と思えるよう気づかせてあげることが、その子の次へ繋がると思うのです。

 

 このことを心理学では、「自己受容」と言うそうです。私的な解釈ですが、『アナと雪の女王』に出てくる「ありのままの~」だと思うのです。ありのまま「40点分は取れなかったけど、60点は取れた自分」「片付けが苦手だけど、前よりは上手に片づけられるようになった自分」を自分自身で受け入れ、自分を客観的に評価することが大切だと思うのです。昨今は、「自信のない学生」や「自己肯定感の低い子ども」が多くなったと言われていますが、自信がないとか自己肯定感が低いのは客観的に自分の成長が見られないからだと思います。もちろん、小さい子どもたちは自分で評価することが難しいので、代わりに大人がその子の成長を伝えてあげることが必要になると思いますが、「自分はこんなに成長してるんだ」とか「こんなにできるようになったよ」と自分で思えれば、「僕は全然できないんだ」ではなくて、「苦手なこともいっぱいあるけど、ちょっとはできるよ」とか「こんなにもたくさんのことができるんだぞ」と思えるのではないでしょうか。

 社会人になってバーンアウトを起こした学生の話を聞いていても、できていないことにばかり目を向けがちです。でも、できていることもあるのです。社会人として当たり前のことかもしれませんが、遅刻はしないとか、欠勤しないとか、子どもと遊ぶことは一生懸命頑張っているとか、できていることもたくさんあるのです。でも、それを自他共に認められず、できていないことばかりに目を向け、学生の時からの成長を感じられていません。そのため、いっぱいいっぱいになって、燃え尽きてしまうのです。

 

 このような話を聞くたびに、私はとても悲しくなります。そして、その子が自己受容する力を伸ばせてあげられていなかったことに、申し訳なさを感じるのです。私が思うに、自己受容をして自分を評価する力を伸ばせるかどうかは、周囲の大人の影響が強いように思えます。「こんなにもできるようになったね」、「ここは素敵だよ」、「こっちは苦手だけどこっちは得意だよね」と大人に認められたら、その子の生き方も変わってくるのではないかとも思うのです。

 

松山東雲短期大学 保育科

講師      浅井 広