【受援力を生かして子育てを】

【受援力を生かして子育てを】

 

 皆さん、こんにちは。  まだまだ肌寒い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか?大学では既に春休みに入り、学生さんたちはお休みを満喫していることでしょう。私たちはと言いますと、学期末の採点作業や次年度の準備、山積みになった事務作業などに追われ、相変わらず慌ただしく過ごしております。  先日、またしても児童虐待に関する悲しいニュースが報道されましたね。このような問題が起こるたび、児童相談所(以下、児相)が批判の的となるわけです。もちろん児相にも課題があり、最後の砦とも思われる児相に気づいてもらえなかった、助けてもらえなかったという亡くなった子が抱いたであろう気持ちを想像すると、いたたまれない気持ちになります。ただ、児相も完璧ではないのです。平成29年度中に、全国210か所の児相が児童虐待相談として対応した件数は133,778件(速報値)に上ると報告されています。相談対応件数とは、平成29年度中に児童相談所が相談を受け、援助方針会議の結果により指導や措置等を行った件数のことですので、相談だけで対応の必要のない案件も踏まえれば、さらに件数は上ることでしょう。

 

 大学教員にあるまじき行為ですが、先ほどの数字をものすごく単純に計算すると、児童相談所一箇所あたり637件の相談対応を一年間で行ったことになります。もちろん、地域ごとに人口も違いますので、もっと少ないところもあれば、倍以上の相談対応を行った児相もあると推測されます。

  その他にも児相の役割としては、在宅指導、里親の認定と子どもの委託、児童福祉施設入所措置、指定医療機関委託、児童自立生活援助措置、福祉事務所送致等、家庭裁判所送致、家庭裁判所に対する家事審判の申立て、子どもの一時保護等があります。さらに、児童虐待防止対策支援事業、ひきこもり等児童福祉対策事業、養子縁組、1歳6か月児、3歳児精密健康診査及び事後指導、 障害児(者)に対する事業、特別児童扶養手当、療育手帳に係る判定事務等等もあるそうです。漢字ばかりで分かりにくいですが、要は児相は相談と対応だけをしているわけではないということです。また、相談や報告を受けて対応すると一言で言っても、相談して会議等により対応を決め、対応し、対応後も援助していくわけですので、1つの案件にとても時間もかかることでしょう。

 

 加えて、相談対応を行うためには関係諸機関との関係も重要になってきますが、関係諸機関も要保護児童対策地域協議会、福祉事務所、保健所、市町村保健センター、児童委員、児童家庭支援センター、知的障害者更生相談所及び身体障害者更生相談所並びに発達障害者支援センター、児童福祉施設、里親、保育所、家庭裁判所、弁護士、弁護士会、学校、教育委員会、警察、医療機関、婦人相談所、配偶者暴力相談支援センター、法務局、人権擁護委員、民間団体、その他とあるわけですので、それぞれの機関と話しているだけで一年が終わりそうなレベルです。

 

 このような取り組みを無視して、一概に児相を批判することは私にはできません。まして、児相で働く職員の方々は我が子ではない子どものために、これらの業務を真摯に行っておられるのです。

 さらに言えば、対応したところで上手くいかないことも、もちろんあるわけです。そこにはいろいろな問題があると思いますが、その一つをあげてみます。

 

 例えば、児相が様々なところから報告された情報を基に、虐待をしている可能性のあるAさんの自宅に訪問したとします。

 Aさんのお子さんのB君にも会いましたが、体にあざや傷はありませんでした。

 Aさん曰く、B君が静かにしない時などに玄関に出すことはあるが、それは「しつけ」の一環であって、虐待ではないとのことでした。

 

 この話は私がでっち上げた話ですが、まず、子どもの利益のために子どもを戒める親の行為は民法によって規程されていて、これを「懲戒権」と呼ぶことはご存知の方も多いと思います。この場合も、情報提供者たちからすれば、虐待の疑いがあると児相に相談していても、Aさん自身が「しつけだ」と言えば介入が難しくなります。もちろん、度が過ぎる場合は児相も介入を強行しますが、子育ての第一義的な責任は保護者にあるわけなので、児相もできるだけ保護者と子どもが上手く生活してける方法を探るわけです。

 

 現在、虐待は4つに分類されますが、虐待と捉えるか「しつけ」と捉えるかはとても難しい問題だと思います。「昔は悪いことをしたら押し入れに入れられたよ」とか、「小さい頃はよく、木に縄でグルグル巻きにされたもんだ」と年配の先生方が笑ってお話しされることがありますが、現代では身体的・精神的虐待に当たる可能性があります。皆さんもお隣さんが、電柱に子どもをグルグル巻きにしていたら「あのお家、大丈夫かしら?」と思いますよね。昔はよくて、今はダメ。この地域は〇でこの地域では×、なんてこともあるわけで、虐待と思う行為も人によって違うので、情報提供をした人とAさんの認識も違うかもしれないのです。そのため児相はAさんの行為を正しく判断し、必要とあればAさんの認識を変えることをしなければ、改善されて行かないということです。  そして、もう一つの問題がAさんの「受援力」です。受援力とは、その名前の通り人の援助を受ける力を言います。児相をはじめ保育現場などでも援助する側の援助力は、様々な経験や課題の克服、研究、研修等によって高まってきていますが、援助を受ける側の力はあまり変わっていないのではないかと言われます。大半の人はこの受援力があるわけなので問題ないですが、中には人から援助されることを良しとしない、必要としていない人がいることも当然あるわけです。例えば、Aさんは、玄関に出す行為は「しつけ」の一環であると言います。でも、B君からすれば今すぐにでも助けてほしいかもしれませんし、B君も自分が悪いから追い出されるのは仕方ないと思っているかもしれません。

 子どもの思いに着目することも大事ですが、同時にAさんの受援力も問われるわけです。

 児相が来た時に、もしかしたらAさんが「自分の行為はいけないことかもしれないから児相と相談して、困っていることとかも少し聞いてみよう」と思うかもしれません。

 もしくは「子育てって、そういうものじゃないの?私の子育てっておかしいの?不安になってきた、、、とりあえず帰ってもらおう。」とか、「私だって大変なのよ、Bだって全然静かにしなくて困ってるの!だけど、助けてもらう筋合いはないわ」というような対応をするかもしれません。

 はたまた「この人たちはどうしてきたのかしら?そもそも子育てに困ってないのに、、、Bだって何か問題があるわけじゃないわ」とか「Bが静かにしないんだから外に出すのは当然のことよ。外に出せば、しばらく泣くけど静かになって謝ってくるから問題ないのよ」と言われるかもしれません。

 

 つまり、援助する側には援助したい気持ちが満々でも、AさんがAさん自身の行為をどう思っているのかと、Aさんがどれだけ周りの人の力を受け入れられるかがポイントの1つにもなってくるということです。もし最後のような答えをされた場合、Aさんとの関係性作りから始めて、少しずつAさんが納得しながらも自身の行為を変え、子どもに対する愛情を注げられるよう援助していかなければなりません。それには時間がかかりますね。簡単なことではないと思います。  

 

 今日はこのような内容を書く予定ではなかったのに、冒頭から最後まで児相の話になってしまいました。今回の話は、あくまで対象を保護者Aさんにしていますので、実際にはもっと子どものことを考えて児相は動いていると思いますが、大変なお仕事だと思います。  それで結局のところ、今回、何が言いたかったかというと、「保育も育児も、もっと色々な人に助けてもらおう!」ということです。無責任に思われるかもしれませんが、もっとたくさんの人に助けてもらうことが結果として、子どもの成長に繋がると思います。  アフリカのことわざに「ひとりの子どもを育てるには村中の大人の知恵と力が必要」という言葉があるそうです。ヨーロッパでは「一人の子どもを育てるのには村一つが必要」と言ったりもするそうです。それは、たくさんの大人とかかわる中で、知識や知恵だけでなく関係の構築や自分自身の人格形成等を行っていくためだと思います。

 しかし、日本において、一人の子どもを育てるのに一体何人の大人がかかわっているでしょうか?これまで私がかかわってきた大人の方々を思い出してみても「村」ほどはいないでしょう。もしかしたら今、幼児期、学童期を迎えている子どもたちはもっと少ないかもしれませんね。それでは子ども自身も小さく育ってしまうような気がするのです。

 そのため、大人は子育てを有意義に楽しむために、子どもはいろいろな大人とかかわるために、色々な人の手を借りて、色々な人に助けてもらいながら子育てをしたら良いと思うのです。そして、保育もそれは同様だと思います。

 たくさんの人とかかわると、もちろん面倒なこともたくさん出てきますし、自分でやった方がという気持ちがある時もありますよね。でも、自分のため、子どものためにもお手伝いしてもらっていいかもしれませんね。

 私はそうした手間も自分のためになるかなと思って、また少し楽したいな~と思って、色々な人に助けてもらいながら生きていけたらなと思っています。