【新しい時代に向けた教育改革】

【新しい時代に向けた教育改革】

 

 皆さん、新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。  

 年が明けたと思ったら、もう既に1月が終わりそうですね。今年は暖冬なのでしょうか。愛媛は暖かな陽気に包まれ、「本当に1月かな?」と思うような冬を過ごしております。松山でもだいたいこの時期は雪が降って、少しだけ積もる時もあるのですが、今年は雪が降る気配もありません。これだけ冬が暖かいと、ちょっと地球が心配になってきます。というのも、あと地球の気温が2,3度上がるだけで、お米をはじめ、今食べられている作物の何種類かが食べられなくなるんですって。2,3度と言ったらきっとすぐのことですから、私たちや子どもたちが生きているうちに、お米なんかも超高級食材になっているかもしれませんね。

 このことについては、環境学の中でずいぶん前から問題となっていて、サステナビリティという言葉で表されたりします。日本語で言うと「持続可能な社会」とか「持続可能性」と言いますが、要は、私たちが生活しているこの環境を、どうしたら後世に残せるかということなのです。化石燃料を大量に消費し、大量生産大量消費の社会で私は生きてきましたが、そういう生活も後世のことを考えたら変えていかないといけなくなってきているのです。負の遺産ばかり後世に残してはいけないのですね。

 そんなこともあって、最近、ごみの分別を真面目にするようになりました。今更感も満載で申し訳ないのですが、、、現状では、多くのごみは分別しても結局は焼却されるという話を耳にしたこともありますし、プラスチックのごみは中国に輸出されているということも聞いたことがあります。しかし一方で、焼却した灰を捨てる場所がなくなってきているとか、中国がプラスチックごみの輸入をやめるということも聞きました。ということは、燃やすこともできない、海外に持っていくこともできないということになりますよね。海外に持って行ったって、地球規模で考えれば結果的にごみを処理するわけですので、解決には至っていないわけです。ということで、「私にできることは何かな?」と考えて、面倒くさいですけど、一応ちゃんとごみを分別するよう努力しています。岡崎市はあまり分別がない地域ですけど、リサイクルできるようなものは、気づいた時はリサイクルごみとして処理すると、きっと子どもたちのためになると思います。

 話はがらっと変わるのですが、先日「センター試験」が開催されましたね。制服姿の高校生たちを見て、自分の高校時代を思い出しました。センター試験には我々大学教職員も駆り出されるわけですが、高校生たちの意気込みと言いますか、一発勝負の空気にこちらも緊張してしまいました。高校生同様、我々も「絶対に失敗できない戦い」なので、一挙手一投足に細心の注意を払って過ごしてまいりました。おそらく私たちにとっても一年で一番緊張する日です。

 そんな「センター試験」ですが、2020年から方法が変わるってご存知でしたか?名前も「大学入試センター試験」から「大学入学共通テスト」になるんですって。具体的に何が変わるかと言いますと、記述式の問題が導入されるそうです。現行のセンター試験は全てがマークシート方式で、最悪分からなくても番号をふった鉛筆を転がして埋めれたわけですが、「大学入学共通テスト」からはマークシートに加え記述問題も課されるので、本当に理解していないと解けない問題も出てくるようです。さらに、我々大学教員をストレスの渦におとしめていた英語の科目も「TOEIC」をはじめとした民間の資格、試験を利用するそうです。リスニングテストのトラブルもなくなるわけですねー。

 なぜ、このような話をするかと言いますと、実はこれらの試験の変更は社会状況や動向にかかわって行われるからということをお伝えしたかったからです。  これまでの「学力至上主義」では、いわゆる勉強できる人が優秀者で、優秀な大学に行き、優秀な会社に入ってたくさんの給料をもらって暮らすことが幸せだと考えられてきました。だから保護者は、小さい時から我が子学習塾に入れ、英才教育を行い、お受験を受けてエリートコースと呼ばれる道に進ませようと努力されたわけです。上手くいった子どもにとっては、これも一つの幸せな生活の在り方だと思いますので、別に否定するつもりはありません。

 しかし、教育的な研究も進み、また社会が多様化する中で様々な生き方が認められ、そして勉強だけがその人の能力を図るための秤ではないということが浸透しました。むしろ今は高学歴ワーキングプアという方々もたくさんいますし、会社によってはいわゆる超一流大学の学生より、普通の大学を卒業した子を採用したいと仰るところがあると耳にします。つまり、社会で生き、活躍するためには勉強だけでは足りないということが認められたということなのだと思います。もちろん大前提として、勉強もできるに越したことはありません。勉強をしなくてよいとか、必要ないと言っているわけではありません。勉強は大事です。

 ただ皆さんの周りにもきっといらっしゃるのではないでしょうか?「勉強できないけど、頭のいい人」や「成績悪い人気者」。こうした人たちは、一昔前で言うとPQ(今はHQと呼ぶそうです)が高い人と言われていました。10年、20年くらいの前にIQ(知能指数)だけでなくてPQ(潜在能力指数)も大事だ!と言ってよくクイズ番組とかで問題が出題されてブームになっていたやつですね。保育の用語で言うと生きる力ということですかね。PQが高い人って羨ましいですよね。

 大学入試においても今後の社会において必要なことは学力のみでなく、自ら問題を発見し、答えや新しい価値を生み出す力だということになりつつあります。そうした「人間性」を測るためには記述式によりその人の考えを探りましょうとなったそうなんです。実はセンター試験だけでなく、私たち大学自体が行う入学試験も、その在り方を変えるように指導されています。今までは筆記試験や実技試験、小論文に面接など、何らかの試験を課して点数を出して合否を出していたのですが、今度からはそれらに加え、受験者の「人間性」も測って合否を出しなさいと言われています。こうした試験に対する課題は多いですが、勉強だけでなくその人、一人ひとりの内面も合否に関わるということは良い点もあると思います。

 そうなると、ということで大きく舵を切りますが、これからの子どもたちに育みたいこと、これからの時代に求められることは、ものすごく簡単に言うとやはり「豊かな人間性」だと思うのです。もちろん、知的な能力や運動、音楽、芸術等も大切なので、総合的に育みたいのですが、そうしたことの中心に「豊かな人間性」があると、それを土台に様々な分野で子どもの力が伸びていくと思うのです。その証拠として、「非認知能力」のデータもありますので、やはり乳幼児期は大切な時期だと言えます。

 

 今回は、大学の試験の話が中心になってしまいましたが、日本の教育の在り方が変わってきていることをお伝えできていれば幸いです。別に試験のために人間性を磨くわけではありませんし、そもそも大学に入ることが絶対的に良いことだとも思いません。ただ、知識ばかりを教え込む教育や、「高学歴=幸せ」という考えは古くなりつつあると思います。日々成長している子どもたちの“今”を子どもたちが満足に生き、その結果得られた学びを生かしていけることが、これからの社会で生きていくためには必要なのかもしれません。

 

 

 

松山東雲短期大学 保育科

講師      浅井 広