【子どもに寄り添った子育てを】

 【子どもに寄り添った子育てを】

 

 皆さんこんにちは。

 今年も残すところあとわずかとなってまいりました。一年というのは本当にあっという間に終わってしまいますね。始まったと思ったら終わってしまい、「子どものときは、1年ってこんなに早かったかなぁ」と思う次第ですが、おそらく、大人になるにつれて「感動」が少なくなってきたのでしょうね。小さいときは、春が来れば新学期があって、夏になれば海に行って、秋には焼き芋をして、冬には雪山に行って、そしてクリスマスにお正月、と心ときめくことが四季折々にありました。でも大人になって、その生活に慣れてしまい、ときめきが減ってしまったのだと思います。だから思い出も残りにくくなってしまい、振り返ると「あっという間」と思ってしまうのではないのかなと思ったりします。ある意味、山なし谷なしの平穏な良い一年だったということでしょうね。

 

 さて、今年の最後に何を書こうかと色々と考えてみましたが、考えれば考えるほどよくわからなくなってきましたので、とりあえず書いてみることにします。  

 

 保育者養成をしていると、社会人の方々が学生さんとして入学してきます。例年5名~10名ほどですが、その約半数は20代、もう半数は30代以上の方々です。後者の方々とお話しをしていると、よく「もっと早く保育科に入学していればよかったです」と言われます。その理由を尋ねると、「もっと子どもに色々してあげられたと思う」とか「子どもや子育てに対する考え方が入学前と全然違うから」とか、「もっと子どもに優しくしてあげられたから」とほぼ皆さんが言われます。子育てに成功や失敗があるのかは分かりませんが、少なくとも保護者の方々、特に母親は一生懸命に子育てをしていらっしゃると思うので、「その時はその時で一生懸命頑張ってたんだから、大丈夫だと思うよ」と答えるのですが、「いや、でも~」とあまり納得してもらえません。そこで、次に「子育てはこれから先もずっと続くから、これから先、勉強したことを生かして子育てしていけばいいよ」と伝えてみるのですが、「そうなんですけどね、、、」とこちらも不発に終わることが多いです。それだけ幼児期が大事な時期だと皆さん感じていらっしゃるとともに、自分の子育てに自信がなかったり、不安に感じていらっしゃったんだと思います。「今思うと、どうしてあんなことで怒ってしまっていたんだろう」とか「どうして小さいことにこだわっていたんだろう」と思われているようです。皆さんの中にも、夜な夜な我が子を寝かしつけながら、同じように「今日も怒っちゃって、ごめんね」と心の中で呟いていらっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

 確かに、子どもにイライラすることは度々ありますし、「なんでそんなことするのー」と言いたくなることも数え切れないことでしょう。特に年齢が低いほど大人の手がかかりますよね。その一方で、一般的に子どもたちには「自分でやりたい」という気持ちも育ってきますし、色々なことに興味がわいてきますので、お出かけするのも時間がかかったり、お手伝いをしてもらっても二度手間になったりと、イライラが募ってしまうことでしょう。また、大人もせわしない生活を送っているので、余裕もなく、子どもに「良い子」であることを要求してしまうこともあると思います。更には、社会的な目もありますので、子どもが大人にとって不都合なことを大衆の面前でしてしまうと「どんな親だ」と親の評価に直結してしまいますし、子ども同士を比較して「うちの子は・・・」と嘆いたり、私は子育てができていないんじゃないかと思い悩んでしまう人もいるかもしれません。  

 

 こうしたことには様々な要因があると思いますが、子どもの理解ということは大きな要因となっていると思われます。このように書くと、あたかも子どものことが分かっているかのように思われるかもしれませんが、私自身も子どものことは全然わかりません。分からないから、興味深いのだと思います。子どもを見ていると、「何でそうするんだろう」とか、「昨日の経験と今日の遊びがここで繋がっているのか」といろいろな疑問や発見がでてきます。それぞれに好き嫌いがあり、育ち方も違う子ども一人ひとりがユニークで個性あふれる人間だからおもしろいのでしょう。そして、その子ども一人ひとりに大人が合わせて、個と親が共に育っていくことが最良の子育てに繋がると思います。

 

 そのためにも、大人が子どもと向き合うことが大切なのではないでしょうか。つまり、子どもの言動の理由を探るのです。子どもは自分の興味や関心、そして自分ができるようになったことに沿って話たり、行動したりすることがよくあります。例えば、「最近よく話すようになった」とか「お手伝いをするようになった」ということがあったとします。これらの理由の一つとして考えられるのは、「語彙力が増え、自分の思いを言葉で表現できるようになり、相手に伝わった喜びを感じているから」、「大人の仕事を観察して、大人の仕事に興味を持ち、自分ができる範囲でその仕事をしてみたいから」だと思われます。つまり、成長した喜びを子ども自身が無意識的にでも感じ、その気持ちを基に目に見える行動として表しているのです。「子どもはいま成長している部分を使って遊びたがる(行動したがる)」ということなのかもしれません。

 

 そのように考えると、文法が間違っていようと、ちゃんとお手伝いができなかろうと、まずは大人がその気持ちを受け止めて、「子どもの話を聞く」、「できそうなお手伝いをお願いする」ということが大切ですよね。何故なら、子どもたちは喜んでその言動をとっているのですから。そのうえで、「こうやって言うと伝わるよ」とか、「お皿はこうやって持ったら落ちないよ」と教えてあげたら、より一層、「上手にお話ししたい」とか「こぼさないでお皿を運ぼう」と思えるではないでしょうか。その繰り返しの中で、上手くできたときは達成感を感じ、次もしてみようという意欲に繋がっていくと思うのです。それがやがて、「コミュニケーション能力」や「自立」といったような言葉で表現される成長に繋がるのです。

 

 子どもを教育したり、お世話をしたりすることは大変なことだと思います。ですが、「子どもが自分で育つことを支えること」が大切なのだと思います。それは保育も同じことです。手取り足取り大人が教えて育てても、「自分自身で考え、決断し、行動する子」、「協力し合って物事に取り組める子」、「人に思いやりを持って接することのできる子」等にはなかなかなれないような気がします。たとえそうした行動がとれていたとしても、そうするように教えられたからそのような行動をするだけであって、心が伴っていないように思えるのです。そう思うと、やはり幼児期に大人がどうかかわるかということは、重要になってきますね。

 

 今年最後のアップでしたが、取り留めの無い話になってしまいました。

 これからクリスマス、お正月と楽しい催しが続きますが、どうぞ皆さん風邪などを引かぬようご自愛くださいませ。

 今年も一年間、ありがとうございました。よいお年をお迎えください。

 

 

 松山東雲短期大学  保育科

 講師        浅井 広