どうしてキリスト教?

 『どうしてキリスト教?』
 
 皆さん、こんにちは。
 今年もいよいよ残り1カ月となりました。あっという間でしたね。この時期と言えば、「クリスマス! 大掃除! 忘年会!」それが終われば、「お正月!!」と忙しい時期です。旧暦でも「師走」と呼ばれ、師匠のお坊さんさえも慌ただしく走り回る月と言われていますね。昔も今も変わらないものです。それでもやはり、12月と言えばクリスマスですよね。街がライトアップされ、軽やかな音楽が鳴り響き、おまけにプレゼントまでもらえる、そんな楽しく嬉しい日です。 
 クリスマスといえば、愛隣幼稚園でも聖誕(降臨)祭の劇が行われています。キリスト教主義の幼稚園ですので、クリスマスはとても意味のある行事になるのですが、そもそも何故、愛隣幼稚園をはじめとして宗教関係、特にキリスト教関係の幼稚園が多いのか疑問に思われたことはありませんか?せっかくの機会ですので保育の歴史を踏まえ少しご紹介していきたいと思います。
 
 

 私たち日本人の多くは仏教や神道を信仰しています。キリスト教徒は比率で言えば僅かでしょう。しかし、日本全国、幼稚園にはキリスト教主義の園がたくさんあります。岡崎市にもいくつかありますよね。キリスト教徒が少ない日本において、何故キリスト教主義の園が多いのか。実は幼稚園とキリスト教は切っても切り離せない歴史があるのです。

 

 かつてヨーロッパではルネサンスが隆盛を極め、芸術だけでなく精神的な面や思想、哲学的についても変化が起こりました。その発展としてヒューマニズム、つまり「何事にも拘束されない個人の自由で人間らしい生き方を追求していこう!」という考え方が世界に広まっていきました。このころの一般市民はかなり抑圧されていたのでしょうね。映画などを見てもこの時代の貧富の差は激しいものがあります。裕福な貴族は考えられないような豪邸に住み贅沢を尽くす一方、市民は今日の食べるものすらなく不衛生な環境で生きていくしかない時代、すごい時代だったんでしょうね。

 

 そうした時代背景のもと、「近代教育学の父」と呼ばれるコメニウスという人が、すべての人にすべてのことを教えるというシステム「国民教育」を掲げたのです。この時代、子育ては家庭で行われるものと考えられており、裕福な貴族の子ども等は家庭教師によって教育を受け、貧しい家庭の子どもは劣悪な環境のもと育っていたので、男女問わず、貧富の差も関係なく教育をするということは革新的だったのです。ちなみにコメニウスという人は、世界で初めて教科書をつくった人とも言われています。

 

 その後、様々な思想家が教育についても考えました。皆さんがかつて中学校や高校で学んだジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソーもその一人です。「ロック(市民政府二論)・ルソー(社会契約論)・モンテスキュー(法の精神)」を暗記した方も多いのでは?
 
 その中でも、ルソーは「子どもの発見者」とも呼ばれています。思想家という人は一つのことだけでなく、派生的に色々なことを考えたのです。ルソーが生きた1700~1800年代のフランス社会は激動の時代でしたが、その中でルソーは「子どもと大人の考え方や成長の仕方などは違うんだ!子どもは子どもの時間を過ごしているんだ!」と主張しました。これ以前は、子どもは小さな大人、子どもは大人の未熟な状態というように考えられていたんです。この主張が「子どもの発見」と言われているのですが、中世絵画などにおいても、体は子ども、顔は大人という不気味な形で表現されていた子どもが、丸みを帯びで子どもらしい表情で描かれえるようになっていきました。「子ども」をどう捉えるかという捉え方が、社会的に変わった時代でもあるんですね。
 
 その後、ペスタロッチ、フレーベルへと教育の考え方は引き継がれ発展していきまが、フレーベルという人が、世界で初めて“kinder(子どもたち)garten(花園・庭)”=キンダーガーデン=幼稚園を設立しました。
 
 今ご紹介した教育者たちはキリスト教徒であり、「全ての人に」という考え方はキリスト教的な発想とも言えます。愛隣幼稚園の由来でもある「隣人愛」、全ての人を隣人のように愛せよという考えにも共通している考え方ですね。そして、自由さや個々を尊重するという精神もキリスト教の影響をうけた思想と言えるでしょう。
 ヨーロッパにおいて「幼児教育」という考えが育まれてきたので、幼児を家庭以外で教育するという行い自体が、キリスト教的な考え方を基盤に考えられてきた思想ともいえるかもしれません。
 
 一方、日本でも子どもを育てることについては考えられてきました。日本はとても子どもを大切にしてきた国なんですよ。教育を受ける「寺子屋」が江戸時代にはあったことは、ドラマや映画などを見ていても分かりますよね。ただし、幼児教育についての施設はなかったのです。そして、子どもを教育することは「家」の責任として考えられてきました。
フレーベルがキンダーガーデンを設立した時、日本では明治維新が終わり、新しい日本を築こうとしていました。そして、富国強兵や殖産興業などの政策を打ち出し、海外に負けない国づくりを目指していきます。その中で、「子ども=国民」を育てるということにも目が向けられました。子どもを育てるために新政府が目を付けたのが、フレーベルが設立したキンダーガーデンだったのです。そして、キンダーガーデンを参考に東京女子師範学校附属幼稚園(現、お茶の水大学附属幼稚園)ができました。これが明治9年のことです。
 
 しかし、当時幼稚園に通えた子どもは、日本の上流階級の子どもたちでした。登園時、降園時に馬車の行列ができたほどだったらしいのですよ。しばらくの間、こうした上流階級の子どもたちのために幼稚園が作られていきましたが、政府からもその意義を認められ、もっとたくさんの子どもたちが幼稚園に通えるようにということで、法律も整備し、日本中で幼稚園をつくることが認められるようになっていきました。愛隣幼稚園もその当時にできた幼稚園の1つです。だいたい100年ちょっとくらい前の話ですかね。
 
 幼稚園を全国に普及していく際に参考にされた園が、東京女子師範学校附属幼稚園、つまりはフレーベルのつくったキンダーガーデンを真似たものでした。そしてその普及に尽力した人たちの中に、数多くの宣教師(キリスト教を普及させるために外国から来た人々)が含まれていたのです。宣教師はキリスト教普及のためだけでなく、日本人の生活を向上させるために様々なことを日本人に教え、伝え、そして時に幼稚園や学校設立のために力を尽くしたのでした。宣教活動の一環であったかもしれませんが、それ以上に子どもたちや大人たちのために多くの宣教師が努力してくださったのでしょうね。愛隣幼稚園も彼らがもたらしてくれた1つなのです。

 

 このような経緯を基に日本の幼児教育は発展してきたので、日本中のいたるところにキリスト教主義の幼稚園がありますし、それでなくても日本の幼児教育については、そもそもキリスト教とは切っても切れない深い結びつきがあるのです。ただ、日本人の良いところは、そうした歴史や概念、思想を受け入れられるところだと思います。キリスト教の行事であるクリスマスを楽しんだ1週間後に別の宗教である神道のお正月をお祝いして、しかもそれらを自分たちの日本の文化にできるなんて、寛容すぎです。まぁ私も一切気にしていませんが・・・。でも、そのようにして新しきものを受け入れ、より自分たちにフィットしたものに変えていく力は、日本人の良いところなのでしょう。

 

 ということで、今年最後のメッセージとして、幼稚園の歴史とキリスト教との関係についてお話させていただきました。宗教がなんだというよりも、今の子どもたちがどのような人たちの思いの上に生き、成長しているのかを知っていただきたく書かせていただきました。私たちが何気なく当たり前に生きていられるのは、先人たちが苦難を乗り越え、希望を実現させてきた結果なのでしょうね。そのことを、いずれは子どもたちにも伝えていきたいものです。

 これから、クリスマス、お正月と子どもたちにとってはウハウハのイベントが続いていきます。年に一度の大イベントをご家族でお楽しみくださいませ!!
 これから一層寒くなりますが、ご自愛いただきながらよいお年をお過ごしください。
 ご拝読ありがとうございました。
 
 
松山東雲短期大学 保育科
講師   浅井 広