物を大切にすることを伝えるにはどうしたらいい?

物を大切にすることを伝えるためにはどうしたらいい?
 
 皆さんこんにちは。今月は学生の実習や就職活動、論文の締め切り、公務等々が重なり、すっかりホームページの執筆が遅れてしまいました。昔は「大学教員なんて授業と研究だけしてればいいから、いいよな~」なんて思われていたこともあるらしいですが、今の大学教員はそうではないんですね。どの教員も今は忙しい時代です。とまぁ、ぼやいていても仕方ないので、本題に入りましょう。
 
 最近、「物を大切にできない」子どもが増えてきているという言葉が保育現場から聞こえてきます。皆さんのお子さんはいかがでしょうか?物を大切にしていますか?これだけ物であふれかえり、100円均一のように安くて良いものが手に入るようになった現代においては、「物を大切にする」ということは、かえって難しいのかもしれませんね。確かに、私も物が壊れたら捨て、新しいものを手に入れることが当たり前のようになっていますので、壊れた物を修理したり、1つの物を長く大切に使うことを疎かにしているように思えます。反省しなければいけませんね。
 
 経済の面からすれば、皆が1つの物を大切に使い続けることは問題かもしれませんが、教育からすれば、やはり子どもたちには物を大切にすることの意味を理解し、身に付けて欲しいと思うのが当然のことでしょう。でも、子どもたちにいくら「物を大切にしなさい」と言っても、それは通用しないと思うのです。なぜなら、物を大切にしなければいけない理由が分からないからです。50年、60年前とは違って世の中は物であふれかえり、お金を出せばいくらでも物が手に入るわけですから、物が壊れても困らないのです。そして、物を使う側の人は、物を作る人の苦労や思いを目で見て、感じ取ることもできないことが多いので、物に対しても思い入れが薄いのでしょう。そうすれば、必然的に物を大切に使うことの意義を見出すことは難しくなると思うのです。
 
 そうであるならば、「物を大切にする」ことをどのようにして子どもたちに伝えていけば良いのでしょうか。その方法はいくつかあると思いますが、今回は1つのことをお伝えしたいと思います。
 
 それは「物を自分で作ること」です。ある研究をご紹介しましょう。心理学者の加用文男先生は、子どもたちとの泥団子作りを通じて子どもについて研究をされています。加用先生は、ある園で子どもたちと一緒に光る泥団子を作り続けていきました。そして、子どもたちも泥団子作りに夢中になり、進んで泥団子を作るようになっていきました。
そのような中、加用先生はある実験をします。
 
 片手に自分で作った泥団子を持っている子どもに、加用先生が作った、立派に光る泥団子を渡すのです。大人からすれば、ピカピカに光沢を放つ美しい泥団子、普通の大人が作っても到底作ることのできない泥団子です。これを受け取った子どもは、「自分の泥団子と加用先生の作った泥団子、どちらを選ぶのか」という実験です。
 
 
 
 片手に自分の泥団子、そしてもう片手に加用先生の作った泥団子を受け取った子どもは、少しの間、じっと二つの泥団子を眺めます・・・。しかし、数分もたたずして加用先生の作った泥団子を手放すのです。一人目も、二人目も、三人目も、子どもたちは皆、自分の作った泥団子を選ぶのでした。
 
 この結果から見えることは、大人と子どもは物の見方が違うということでしょう。つまり、大人は美しく、珍しいものに価値を見出す傾向にありますが、子どもたちは自分が作った物に価値を見出すということです。加えて、人に与えられたものよりも、自分で頑張って作った物を大切にするということです。
 
 子どもたちのこうした感情は、私たち大人にも存在しています。私も授業の一環として学生たちに泥団子作りをさせています。泥団子を作るために短くても3時間ほどの時間を使うのですが、学生たちはひたすら「泥団子に砂をかけて、こする」という活動を行います。できあがるころには自分の泥団子が可愛く、愛らしく思えるようで、3分の1から半数くらいの学生が泥団子を持ち帰ります。「持って帰ってどうするの・・・?」と私は内心思うのですが、そんなことは言えません。
 
 また、泥団子を作っている途中で、泥団子が崩れてしまう学生もいます。1時間、2時間かけて作った泥団子が崩れた時の落胆ぶりといったら、何とも言えません。まるで本当に大切な物を失った時のような喪失感を味わっています。ある学生は、「スマホを落とした時よりもショック 」と表現していました。
 
 加用先生が出演するビデオの中にも泥団子が崩れてしまった子どもの姿が映し出されています。その子は転んで泥団子を割ってしまうのですが、「壊れてない」と自分に言い聞かせながら泥団子を確認していきます。触っているうちにどんどん崩れていってしまい最終的には完全に割れてしまうのですが、その子は帰るまで、泥団子を入れていたビニール袋を大切に持っているのでした。
 
 皆さんには壊れてしまった物の破片や付属品を大切にとっておくほど、思い入れのある「物」がありますか?
 
 子どもたちが「物を大切にする」ためには、物に対する思いが大切になると私は思います。確かに、物が壊れてしまうショックを感じさせることは、子どもたちには可哀想かもしれません。しかし、その物が「欲しい」と思えば、またその活動が楽しいと思えば、子どもたちは再び作り始めますし、壊れてしまう経験から物を作ることの難しさや大変さ、また、楽しさなどを感じていくと思うのです。そうした感情を経験しているからこそ、別の「物」を扱う際も、「これは、誰かが苦労をして作ってくれたんだ」と思えるのではないでしょうか。もしくは、そうした大人の言葉に耳を傾けられるのではないでしょうか。そして、「これは大切に使おう」と心掛けることができると思うのです。でもその時に、もしかしたら失敗して壊してしまう可能性もありますよね。それでもその「壊した」、「壊れた」という結果は、大切にしていない時とは全然違います。ですので、その時に「そっと持つといいよ」とか「次はゆっくりでいいよ」と大人がアドバイスしてあげればよいのです。それもまた、子どもが物を大切に使えるようになるためのプロセスなのですから。
 
 こうした経験や感情を抱くことのできない子どもに、「物を大切にしなさい」と言っても子どもが可愛そうなだけだと私は思います。大人の価値観を押し込もうとしても、子どもの経験や感情に即していなければそれは無理なお話ですよね。自分で考え、失敗を乗り越えながらも何度も作る、そうしてできた物は子どもたちにとっての宝物となることでしょう。そしてその経験こそが、人生の宝物となると私は信じています。
 
 時間のかかることですが、このような経験を子どもたちにはたくさんさせてあげたいものです。
 
 
松山東雲短期大学  保育科
講師       浅井 広