【障がいは皆で乗り越える】

 【障害は皆で乗り越える】
 
 医療の発達に伴って、人には皆違った個性があることがわかってきました。そして、その個性が普通の人(健常者と呼びます。この言葉にも問題はあるのですが…)や普通の子ども(健常児)に比べ顕著な場合、その人や子どもを障がい者もしくは障がい児と呼ぶようになりました。
 子どもたちによく見られる障がいとして有名なのは、【発達障害】と呼ばれる障がいです。発達障害は、脳機能の障がいと考えられていて、脳がうまく機能しない結果が言葉や行動に現れてくるものです。発達障害については簡単に後述しますが、発達障害がある人は、一般的にはコミュニケーションや対人関係をつくるのが苦手と思われています。また、その言葉や行動、態度が自分勝手とか変わった人と誤解され、敬遠されることも少なくありません。それにより、社会で生きていくことが困難であったり、お友だちができにくかったりといった二次的障害と呼ばれる弊害も生まれています。
 
 障がいと聞くと「個人の特性」「個人の問題」と捉われがちなのですが、WHOの定義や障がいを研究されている方々の考え方は少し異なります。確かに障がいには個人的な要因があり、今でも障がいを抱えている人が一般社会に適応できるようにしていく教育もなされています。一方で、健常者や健常児が障がいを抱えている人に寄り添っていくことで障がいを個人だけの問題ではなくすことができるのではないかとも言われています。これがWHO等の言う障がいです。 
 例えば、聴力に障がいを抱えている人がテレビや映画等の娯楽を楽しめたり、信号を安全に渡れたり、音声による言葉のやりとり以外でコミュニケーションを取れて、仕事も普通にでき、友だちと遊ぶことも好きな人と交際することもできたとしたら、不自由なく生活することができる社会であるとするならば、その人を障がい者と呼ぶ所以はどこにあるのでしょうか。もしくは、学習障害を抱える人が、苦手な計算は機械や得意な人に任せることができて、その人の得意なことを生かして生きていけるとしたら、健常者と何が違うというのでしょうか。
 つまり、障がいというのは個人が抱えるものだけを言うのではなく、その人と周りの環境(人や物や制度など)との不適応を障がいと呼んでいるのです。車を運転する、電車に乗る、テレビを見る、スマートフォンを使う、適当な職を得る等、障がいを持つ人が生きていく上で勝手が悪い、使うことができない、受けられるべき対応を受けられない、そのこと自体が「障害」なのです。このように考えた場合、障がいというものは、決して個人の問題だけではありませんね。我々だって障がいを生む要因にもなり得ますし、障がいをなくす要因にもなり得るのです。そして、結局のところ今取り上げられている障がいあるとかないとかは、得意なことと苦手なことの度合いの問題ということなのです。でも、その度合いだって、皆で協力すれば、上手く付き合っていけるはずなのです。
 
 私はこの仕事の関係で、いくつもの障がい児・者施設を訪問してきました。その多くは人里離れた山間や郊外にあります。その理由は、周囲の人と障がい児・者を気遣っての創設者の配慮なのだと思います。おそらく多くの方は、そうした施設に出入りしたことはないでしょうし、どこにあるかもご存じないでしょう。私もそういう機会がなければおそらく知ることはなかったと思います。しかし、そうした状況を見ているうちに、私たちが生活している社会が健常者ために作られてきたのかを痛感せざるを得ません。この世の中は健常者にとっては、とても住みやすい社会です。何でもかんでも使えるとっても便利な社会です。しかし、その社会は障がいを抱える人、いわゆる社会的弱者にとっては住みやすいとは言い切れない社会であることを知らなければならないと思うのです。
 
 皆さんは不思議に感じたことはありませんか?昨今、これだけ子どもの障がいがピックアップされているのに大人の障がいについては取り上げられていないことや、養護学校(特別支援学校)等に通っていた子どもたちが、大人になっているはずなのに、私たちの目の前にあまりいないことが。確かに障がいの中にも、大人になれば現れにくかったり、軽減されるものがあります。また、教育によって改善されもします。しかし、障がいは病気ではないので、完治はしません。治らないのです。では、そうした人たちはどのように暮らしているのでしょうか。
 良い言い方をすれば、彼らの多くには専門的な教育がなされ、彼らに合った施設で専門家のケアを受けながら仕事(私が見たのは、箸袋に割りばしを入れたりするものです)をしたり生活をしています。悪い言い方をすれば、社会に適応することが難しく、一般社会から隔離されています。それ故に、私たちは普段、障がい者をあまり目にすることがないのです。
 その結果、障がい児施設と呼ばれる18歳(20歳)までの子どもしか入所することができない施設に、50代、60代の方が多数いらっしゃる状況があります。障がい者施設が一杯で、入所することができないことが大きな要因とされています。つまりは、私たちの生活する社会に適応することが難しく、施設で暮らさざるを得ない大人がたくさんいるということです。加えて、障がいを抱えているという理由で家族から見放され、行き場をなくし、施設にいらっしゃる方もいます。社会に出たとしても、障がい者ということを利用され、犯罪の手助けをさせられている人もいます。そうした人達をよそに私たちの社会は成り立っているのです。
 
 とは言っても、すぐにどうこうということは難しいでしょう。障がいの問題は複雑で、根深いのです。しかし、少なくとも子どもたちには、皆が等しく生きていくことの大切さを伝えていきたいですね。困っている人がいたら助ける、人を正しく理解し分かり合おうとする、そんな基本的でも大切なことを伝えていければよいのだと思うのです。少なくとも、電車などで障がい者を見て笑うような無知で愚かな人にならぬよう、時間をかけてゆっくりと育ててあげたいものです。
 
 
松山東雲短大  保育科
講師     浅井 広
 
 
 
 
~障がいを正しく理解する~
 自閉症は対人関係にも特徴が見られる発達障害の1つですが、自閉症を調べると、その特性として“一人でいることが多い”とか“一人遊びを行う”といった文言が必ずと言ってよい程出てきます。私もそのように習っていましたが、ある本の一文を読んで衝撃を受けましたのでご紹介します。その手の方には有名なのですが、自閉症の方が自身のことを書いた本です。正しく理解することは難しい、でも誤った理解がこんなにも辛さを生むものだと感じたものです。 
 みんなといるよりひとりが好きなのですか?
 「いいのよ、ひとりが好きなんだから」
 僕たちは、この言葉を何度聞いたことでしょう。人として生まれてきたのにひとりぼっちが好きな人がいるなんて、僕には信じられません。
 僕たちは気にしているのです。自分のせいで他人に迷惑をかけていないか、いやな気持にさせていないか。そのために人といるのが辛くなって、ついひとりになろうとするのです。
 僕たちだって、みんなと一緒がいいのです。
 だけど、いつもいつも上手くいかなくて、気がついた時にはひとりで過ごすことになれてしまいました。
 ひとりが好きだと言われるたび、僕は仲間はずれにされたような寂しい気持ちになるのです。
 
『自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心―』 東田 直樹  p38
 
 
 
 
【発達障害】をいくつかご紹介しておきます。すみませんが、詳しくはお調べください。
☆自閉症スペクトラム
 自閉症、アスペルガー症候群(知的障害を伴わない高機能自閉症)、その他広汎性発達障害の総称です。『光とともに・・・』というタイトルでドラマ化され、自閉症児とその家族が描かれ話題になりました。
☆注意欠陥多動性障害(AD/HD)
 不注意や多動・多弁、衝動的な行動といった特徴があります。注意欠陥だけならばAD、多動性も含まれるとAD/HDとなります。
☆学習障害(LD)
 いわゆる読み書きそろばんの一部だけが苦手です。これは小学校に入学してから見えてくることが多いのですが、例えば、国語と理科、社会は平均点もしくはそれ以上の点数を常に取れているのに、算数だけがいつも十点台という場合があります。怠けていると思われがちですが、脳の機能がうまく働かず計算ができにくい状況が起こっているのです。こうした障がいを学習障害と呼びます。
☆トゥレット症候群(TS)
トゥレット症候群は様々な種類の運動チック(突然に起こる素早い運動の繰り返し)と1つ以上の音声チックが1年以上にわたり続く重症なチック障害のことを言います。チックは様々な要因で起こりますが、本人の意思とは関係なく症状があらわれているというところで、脳の機能とも関係しています。
☆吃音
吃音(きつおん)は、音の繰り返し、ひき伸ばし等が見られ、一般的には「どもる」と言われる話し方です。「わわわわわわたしは…」と話し始めに同じ音を繰り返してしまったりしますね。成長と共に大半は自然に症状が消失したり軽くなったりしていく傾向にありますが、大人になっても軽減されない方もいます。『英国王のスピーチ』という映画で取り上げられましたね。