年中さんの「かくれんぼ」

 皆さん、こんにちは。

 今月は子どもたちの遊びについて、学生さんが実際に体験したエピソードを交えてご紹介したいと思います。今回ご紹介する遊びは「かくれんぼ」です。

 一般的に「かくれんぼ」というと、隠れる側と見つける側(鬼)に分かれて楽しむ遊びですよね。隠れる側は鬼に見つけられないように隠れますし、見つける側もどこにいるのかと必死に探します。皆さんも幼い頃に何度も体験したことがあると思います。この「かくれんぼ」ですが、実際に子どもたちが行うと色々なヴァリエーションが見られるのです。その一つを紹介してみましょう。

 

 タイトル:可愛いかくれんぼ

 保育室で年中組のサキちゃんとカナちゃん、アカリちゃんと「かくれんぼ」をすることになりました。カナちゃんとアカリちゃんが初めは鬼になり、私とサキちゃんが隠れることになりました。私とサキちゃんがピアノの後ろに隠れると、すぐに見つかってしまいました。鬼を交代するとカナちゃんとアカリちゃんもピアノの後ろに隠れたので、私たちもすぐに見つけることができました。次に私たちはおままごとの布団に隠れました。2人はなかなか見つけられない様子だったので、わざと足をはみ出していると「見つけたー!!」と嬉しそうな声が返ってきました。鬼を交代すると、またまた私たちが隠れていた布団の中に2人は隠れていました。そこにいると分かっていましたが、近くをうろうろ歩きながら「どこ行ったかな?」「ここかな?」「ピアノの後かな?」と大きな声で伝えました。そして、「見つけたー!!」と言って覆いかぶさると「キャー!」と言って喜んでいたので、私も嬉しくなりました。その後も私とサキちゃんが隠れるところばかりに隠れて、すぐに見つかってしまう「かくれんぼ」は続きました。(氏名は仮名)

 

 これは4歳児らしい可愛い「かくれんぼ」ですね。見つかってはいけないというルールを何となく理解はしているものの、「見つけてほしい」という気持ちが勝っています。もっと言えば、カナちゃんとアカリちゃんは、お姉さん先生(実習生)との「見つける―見つけられる」関係を楽しみ、お姉さん先生と同じ場所に隠れることに喜びを感じているのです。

 このような場面を見た時、ついつい「見つからない場所に隠れないといけないよ」と言いたくなるものですが、それは「かくれんぼ」のルールを知っている大人の意見であって、このエピソードに出てくる子どもたちとは楽しみ方、遊び方が違うのです。カナちゃんやアカリちゃんが、「見つけられる」ことにも楽しみ、喜びを感じていることからしても、一般的なルールを理解させて遊ばせることよりも、見つけて遊ぶ、見つけられて遊ぶ彼女たちなりの遊びを大切にしてあげたいですね。

 それだといつまでたっても「かくれんぼ」のルールを理解しないのでは?と思いになるかもしれませんが、そうはならないことが多いでしょう。なぜなら、子どもたちもこの「かくれんぼ」は「つまらない」とそのうち気付くからです。つまり、遊んでいるうちにすぐに見つかる、見つけられると「つまらない」とわかるのです。そのため、「カナちゃん見つけられないとこに隠れて!」とか「同じとこに隠れるのなしね」といった発言が子どもたちから聞かれるようになっていきます。もちろん、一度や二度、遊んだ程度ではそうした発言は期待できないかもしれません。毎日、毎日繰り返し遊び込むことで、そうしたことに気付き、自分たちでひとつひとつルールを作っていくのです。そして、遊びに取り入れたルールがつまらなければそのルールは消え、楽しければ残っていきます。もちろん、特定の子どもにだけ都合の良いルール、例えば「僕は鬼にならなくていいことにしよ」等ということは、他の子どもから拒否されますし、勝手に「もう、やーめた」も許されなくなっていきます。勝手にやめられてしまっては、「かくれんぼ」が成立しないからですね。

 そうした過程を繰り返すことで、だいたい5歳くらいになると我々の知っている「かくれんぼ」になっていきます。幼稚園や保育園等に通って、皆と遊ぶことでルールや平等性も学んでいくのですね。

 

 一方で3歳児はどうかというと、だいたいの3歳児は自己中心的な世界に生きていますので、自分の顔を手で覆ったり、顔だけを隠すことで隠れたつもりでいます。頭隠して尻隠さず状態です。他者からどう見られているかという部分にまで、考えが及んでいないのですね。でもこれは、人間の発達からすればごくごく当たり前のことです。むしろ、自己中心性が大事な時期です。そのため、頭だけを隠している子どもを認めてあげて、「見つけた!!」と抱きしめてあげると良いでしょう。そうした繰り返しで、自分と他者が見ているものが違うということに気づいていくのです。

 

 興味をもって子どもの遊びを見てみると、年齢や発達によって遊び方が異なることがわかります。実は「かくれんぼ」だけに限らず、大方子どもたちの遊びは名前が一緒でも、遊び方が異なるものはたくさんあります。つまり、遊びにも子どもの発達にあった段階があることが多いのです。ですので、先生がルールを教え込んで子どもたちが遊んだり、大人が決めたルールで子どもたちを遊ばせることは、ナンセンスだとも思うのです。なぜなら、子どもたちが自分たちで考え、想像(創造)し、実際に行い、改良していくチャンスを奪ってしまうと思うからです。自分たちで作り上げていくことにつまずきを感じた時、ようやく大人の出番となるのでしょう。

 とは言っても、私もついつい効率よく遊べるための正解を子どもたちに教えてしまいます。自分が知っている遊び方でないと、修正もしたくなってしまいます。ですが、子どもたちの成長を願うなら気長に待つことも覚えなければならないと反省しています。遊び方が私たちと違ったって良いのです。大人と子どもは楽しみ方が違うのですから。

 むしろ私たちは、子どもたちが何を楽しみ、何に喜びを感じているのかに注目し、その気持ちに共感してあげることに神経を注ぐべきなのでしょう。近道を教えてあげれば、子どもたちはその道を進み、目標へと近づくことでしょう。ですが、近道を進んだ分、様々な葛藤や困難、喜びや楽しみを経験できないことにもなります。子どもたちが試行錯誤、紆余曲折して目標へと進むプロセスを、大きな気持ちで見守ってあげたいものです。

 

 

  

松山東雲短期大学 保育科

浅井 広

 

 

 ~~愛媛の小話~~

 愛媛県はみかんをはじめとして、柑橘類の生産が盛んです。「伊予柑」や「紅マドンナ」、「せとか」といった柑橘系の果物は、全国的にも知られているようです。

 私が愛媛にやって来て驚いたことは、「みかんの種類が多い!!」ということです。岡崎で暮らしている時は、みかんなんて「蒲郡みかん」か「三ケ日みかん」くらいで、それほど違いはないでしょと思っていました。

 でも愛媛に来たら、30種類近くあるじゃないですか!!「甘平」、「紅マドンナ」、「媛マドンナ」、「はるみ」、「はるか」、「せとか」、「清見タンゴール」、「甘夏」、「カラマンダリン」・・・いろいろありすぎてよく分かりませんが、どれも美味です。もはや好みの世界です。その中でも私のオススメは「紅マドンナ」と「せとか」ですね。お値段は張りますが、甘くて美味しいですよ~。私のみかんの常識を覆してくれましたね。

 

あと、「ムッキーちゃん」というアイテムが売っています。「伊予柑」や「文旦」等の大きな種類のものをむくときに使うアイテムで、300円くらいの安いものなのですが、抜群の働きを見せてくれます。愛媛に来てから、時期になると毎日のように伊予柑を食べるようになったのですが、昨年は「これ考えた人、天才!」と同僚の先生方と話題になるくらいの活躍をみせてくれました。「伊予柑」や「文旦」がお好きな方にはおススメですよ。